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毎日新聞 鼎談&インタビュー【H25.3.23朝刊掲載】


大阪府中部の「百舌鳥・古市古墳群」をユネスコの世界遺産に登録しようという機運が高まっている。
4世紀後半から6世紀中ごろにかけて築造された大小多数の古墳は、世界に例をみない古代日本特有の「古墳文化」を今に伝えている。
なぜ世界遺産登録をめざすのか、保存・管理と「共存」はどのようにして、登録で大阪はどう変わるのか。
両古墳群に詳しい研究者・学識経験者4人に鼎談(ていだん)とインタビューで話を聞いた。
「毎日新聞 平成25年3月23日 朝刊掲載」

宗田好史氏
宗田好史氏京都府立大学生命環境学部教授
むねた・よしふみ
法政大学工学部建築学科卒。同大学院を経てイタリア・ピサ大学、ローマ大学で学ぶ。国連地域開発センター主任研究員を経て、93年から京都府立大学。
白石太一郎氏
白石太一郎氏大阪府立近つ飛鳥博物館館長
しらいし・たいちろう
同志社大学大学院博士課程を経て国立歴史民族博物館(千葉県)教授・副館長などを歴任。大阪府立近つ飛鳥博物館館長。古墳時代の研究の第一人者。
足立久美子氏
足立久美子氏歴史街道推進協議会メインルート推進部課長
あだち・くみこ
大阪市立大学大学院創造都市研究科修了。北陸放送報道制作局、奈良まちづくりセンターを経て96年から現職。文化庁文化審議会世界文化遺産登録委員などを歴任。

大阪 元気にする起爆剤

古代の共通理解に寄与宗田氏

宗田百舌鳥・古市古墳群が世界遺産登録をめざす意義から。

白石9年前、生まれ育った大阪に26年ぶりに戻った。気付いたのは大阪の元気のなさだ。両古墳群は大阪を代表する歴史遺産で、人類の遺産として世界にアピールできる。登録は大阪を活気づけるだろう。

宗田近世・近代の大阪は「天下の台所」「東洋のマンチェスター」など日本の商工業の中心として名をはせた。だが、大阪の歴史は古代までさかのぼれる。1500年以上もの昔から大陸との交流窓口だった。両古墳群は大陸の文化を受け入れた地。それらは脈々と大阪人のアイデンティティーにつながっている。

足立日本人は今、目の前にあるものだけを見ている。時間の流れの中で歴史を訪ねる試みの一つが、伊勢から神戸まで辿る「歴史街道」構想。歴史の積み重ねを大事にしてこそ、街の魅力の向上につながる。両古墳群も、歴史を現地に学ぶうえで大きな価値を持つ。世界遺産登録は大阪が「お笑い」だけではないことを伝える好機にもなる(笑い)。

宗田世界遺産登録は当初、歴史遺産の個別性を重視した。近年は世界の多様な文化の共通理解のためへと変化している。世界の子供たちが共通の教科書を使って歴史を学ぶとしたら、その教科書の口絵に登場する一件一件が世界遺産であってほしいと言われる。東アジアであっても、教科書の共通化は容易ではない。両古墳群は東アジア古代の「普遍性」を教える意味でも重要といえる。

白石両古墳群の時代に日本は東アジアの文明社会に仲間入りした。大阪の歴史の基礎になった時代だ。世界遺産登録は東アジアの人々に大阪を理解してもらう契機になる。

宗田世界遺産は登録数を増やそうという段階から、「それぞれの価値」を掘り下げていく方向にある。

東アジアとの窓口象徴白石氏

白石古墳時代は、列島各地の政治勢力が畿内の勢力を中心に政治連合を形成していた時代だ。3世紀中ごろから4世紀中ごろまで盟主権は奈良盆地の勢力が握っていた。ところが、4世紀後半になると激動の東アジア情勢を受け、それ以前から東アジアとの交易・外交を担っていた大阪平野の勢力が連合のリーダーシップを掌握する。それを物語るのが百舌鳥と古市の古墳群にほかならない。

宗田大阪が東アジアとの交流を通じて日本の文明化のあけぼのを担ったという視点は興味深い。大阪のおかげで、日本は国際社会の一員になれたともいえるわけだ。

足立人気の「韓流歴史ドラマ」に登場する東アジア古代の地図には日本のことも描かれている。昔とは国の枠組みが違うとはいえ、日中韓は当時から深く関係し合ってきたことが分かる。両古墳群はアジアに生きる人間として互いにどう関わっていくかを考える「土俵」になるはず。

宗田両古墳群の世界遺産登録は、今の国家の枠組みを前提としたものの考え方を取り払う良い機会となり、東アジア国家の相互理解につながる。

足立ただ、両古墳群に限らず、考古学は難しく、重い。私たちには分かりにくい一面があるといえる。

宗田戦前の考古学は皇国史観の制約を受け、自由な議論を妨げていたともいえる。

白石古代史は戦前、古事記、日本書紀が「事実」として教えられていた。それに反する研究はできなかった。その結果、例えば、仁徳天皇陵古墳の本格研究は戦後になって初めてスタートした。

宗田近年は宮内庁も国民の関心の高まりに理解を示している。両古墳群の研究は新しい古代史研究の画期となるかもしれない。

白石確かに最近の宮内庁は、皇室の祖先の祭祀(さいし)に障害がないのなら、世界遺産登録にも異存はない、というスタンスのようだ。陵墓古墳の調査結果の公表にも前向きだ。

宗田両古墳群の価値が明確になり、すべてがここから始まったとなると、大阪は歴史上、京都、奈良より重要な地域ということになるかもしれない。

新たな語りの文化創造足立氏

足立日本では古代を扱う歴史ドラマはあまりなく、どうしても戦国以降の価値観で歴史を見がちだ。「歴史の物語」は本来、多様に語り継がれてきたはず。今は十分ではないので、もっと語り継いでいきたい。

宗田それこそ、両古墳群の世界遺産登録の目的だ。大阪は浄瑠璃など「語りの文化」の宝庫でもある。

足立地域の歴史を語るグループが増えている。知識を伝えるだけでなく、どう「ものがたる」か。新たな「語りの文化」を創造するチャンスだ。両古墳群を舞台に、歴史の現場に身を浸し、意義をつかみ、アジアと向き合っていきたい。

宗田歴史はこれまで東京の価値観で語られてきた。大阪が「もう一つの価値観」によって歴史を語ることができれば、と思う。大阪の人が独自に歴史を語ることが地域の魅力の発見につながる。

白石とはいえ、古代史研究の成果がどこまで一般の方々に伝わっているのか、研究者として責任を感じる。大阪が古代の歴史に果たした大きな役割を学ぶ場として両古墳群を活用していきたい。

宗田両古墳群の世界遺産登録が地域の人の誇りにつながれば。両古墳群と朝鮮半島、中国との文化交流の歴史を通じて、東アジアでの相互理解につながれば、と期待する。

地元の誇り発信したい

宗田好史氏
橋爪紳也氏大阪府立大学
観光産業戦略研究所所長
はしづめ・しんや
京都大学工学部建築学科卒、大阪大学大学院博士課程修了。大阪市立大学教授などを経て現職(兼教授)。大阪府政策アドバイザー、大阪府・市特別顧問。

― 登録推進民間会議の委員長として。

両古墳群の世界遺産登録を民間の立場から応援している。
ただ、両古墳群はじめ日本の皇陵(天皇陵)は祭祀の対象でもあるお墓。
単なる観光資源ではないことを十分に自覚すべきだ。大都市の中にあって、皇陵とともに人々が千何百年も暮らしている。それ自体が文化的な営みだ。崇敬の想いを持ちつつ、私たちが陵墓を守ってきたことも世界に示していきたい。

― 専門の建築史からみた特徴を。

古代王権の高度な技術力を示している。私は建築を学ぶ大学院生時代、京都における最後の皇陵、明治天皇の桃山御陵と周辺が研究対象だった。
以来、皇陵に関心を持ち続け、仁徳天皇陵古墳はじめ、壮大で世界に例のない独特の造形、土木様式に一貫して驚きと敬意を抱いてきた。

― 両古墳群の世界遺産登録を大阪の振興にどう生かせばよい?

大正・昭和初期、両古墳群一帯に線路を広げる私鉄各社が沿線開発と併せて案内マップを発行し、皇陵を巡り歴史に親しむハイキングコースを設けていた。多くの人が休日の行楽として地域の古墳群を巡っていたわけだ。そのような機会を増やしていきたい。

― いま地元では?

大阪府と堺、羽曳野、藤井寺3市が推奨6コースを考案して発行した両古墳群の「ウォーキング・マップ」はよくできている。また、両古墳群の地元や近隣市では、多彩な取り組みが動き始めている。
登録を願う飲食店主やNPOが前方後円墳を模した「古墳カレー」や「古墳弁当」を提供する例もある。
八尾の飛行場からの小型飛行機で古墳群を見学する企画もある。地域の企業や住民が古墳群を地元の誇りとすることが、外から見た大阪の魅力創造につながる。