もず・ふるいちこふんぐん こどもQ&A

古墳時代の人たちはどんなものを食べていたの?

答え まず、コメやヒエ、アワなどの穀物(こくもつ)を食べていました。
それって弥生時代と同じ!? いいえ、農作業に使う道具や田んぼを作る技術が発達したことで、弥生時代よりたくさんのコメが作られるようになりました。
また、古墳時代の特ちょうとして、朝鮮半島からカマドが伝わりました。
カマドは、弥生時代までの炉(ろ)(※1)に比べて強い火力があったため、米を炊く(たく)ことが簡単になり、より米食を普及させました。
そして、「炊く」だけでなく、「蒸す」という調理方法も伝わってきて、「おこわ」のようなものも作られていたようです。
※1 ・・・ 部屋の中にたき火のような「炉」を作っていました。
カマドかぁ 古墳時代の台所だね!
古墳時代の調理道具・甕(かめ)と甑(こしき)甕(蔀屋北遺跡)大阪府教育委員会提供甑(蔀屋北遺跡)大阪府教育委員会提供
古墳時代の竪穴住居
カマド火のまわりをドーム状に囲んでいるため、炉に比べて、熱が伝わりやすいです。
カマドを使っている様子。
甑の底には穴が空いていて、今の蒸し器のように、水蒸気によって穀物(こくもつ)を蒸しました。

おかずにはどんなものが食べられていたの?

答え
おかずとして、肉や魚、野菜も食べられていたようです。
例えば、シカやイノシシなどの動物、タイやスズキ、ブリなどの海の魚や、アユやコイの仲間、ナマズなど川や湖に住む魚が食べられていたことがわかっています。
また、野菜は、マメやウリの仲間、エゴマなど、果物は、モモやスモモなどが食べられていたようです。
もちろん、自然のものなので、季節によってあるものないものはありましたが、いろいろなものが食べられていました(図1参照)。
また、遺跡からは、動物の骨も出ています。
古墳時代には食生活が安定し、狩りをすることは減ってきたと考えられていますが、食べ物の少なくなる冬には、狩りをしていたのかもしれませんね。
※図1は、大阪府四条畷市の蔀屋北遺跡(しとみやきたいせき)から出土した植物の種や動物の骨をもとに作成したものです。

〈図1〉古墳時代の食物カレンダー

古墳時代から1500年経っているため、食べ物の特ちょうを知ることは難しいですが、いろいろなものから推測しています。たとえば、左の写真は、兵庫県にある行者塚古墳(ぎょうじゃづかこふん)に供えられていた土製品です。形の違いから、魚や鳥やおもち等と考えられていて、そういうものが食べられていたと推測する材料となります。なかでも、ひしの実やアケビなど甘いものも含まれていて、まだ砂糖がなかった時代にも甘いものも好まれていたんですね。