「竪穴住居(たてあなじゅうきょ)」といって、右のような建物に住んでいたといわれています。地面をほって、半地下の場所に柱を何本も建ててつくられていて、屋根は植物などでおおわれていました。縄文時代以降盛んにつくられ、弥生時代や古墳時代にも使われました。
また、当時、穀物(こくもつ、米・小麦など)を保存するための倉庫として、「高床倉庫(たかゆかそうこ)」が使われていました。高床倉庫では、床を地面よりも高くすることで、湿気やねずみなどから穀物を守る工夫がされていました。
竪穴住居の内側
復元された竪穴住居(科野の里歴史公園(長野県千曲市))
復元された高床倉庫(同上)
古墳時代に作られたものの中には、家をモデルにしたものがあります。たとえば、右の写真の銅鏡(どうきょう)です。この中には4つの建物が描かれていますが、地域を治めていた権力者(けんりょくしゃ)が住んでいたところなどを表しているといわれています。
下の図のアは「竪穴住居」で、権力者の家です。イの床が高くなっている建物は、穀物などを保存する「高床倉庫」、ウの建物は、神や祖先を祭るための建物、エは政治を行うための建物だったと考えられています。
大阪府立弥生文化博物館平成21年度春季特別展「弥生建築」より転載