世界遺産 百舌鳥・古市古墳群を楽しく学ぼうもずふるキッズコーナー

子ども古墳クイズ

  • Question 01

    次のうち、世界遺産が一番多い国はどこでしょう?

    ①アメリカ ②中国 ③イタリア ④日本 ⑤フランス

    ③イタリア

    世界遺産が多い国トップ5(2022年1月現在)は、1位イタリア(58件)、2位中国(56件)、3位ドイツ(51件)、4位スペイン・フランス(49件)となっています。日本は25件で第11位です。

    イタリアの世界遺産 ヴェネツィアとその潟(がた)
  • Question 02

    次のうち、埴輪(はにわ)になっていない動物を1つ選んでみましょう!

    ①イヌ ②ネコ ③ウマ ④ウシ ⑤さかな ⑥とり

    ②ネコ

    古墳の上やまわりに並べられた埴輪には、たくさんの種類があります。一番多いものは筒(つつ)の形をした円筒(えんとう)埴輪ですが、なかには物や動物の形をした形象(けいしょう)埴輪というものもあります。

    円筒埴輪
    円筒埴輪
    筒(つつ)の形をしている
    数が多く、よく見つかる
    形象埴輪
    形象埴輪
    物や動物の形をしている
    数が少なく、めずらしい

    円筒埴輪と形象埴輪

    埴輪について詳しく知りたいときはこちら!
    子どもQ&A第4回「埴輪にはどんな種類があるの?」
    子どもQ&A第13回「埴輪のことをもっとおしえて?」
  • Question 03

    古墳時代には、塩・しょうゆ・みそに類する調味料(ちょうみりょう)があった。〇でしょうか、×でしょうか?

    古墳時代の人々は、現在の私たちと同じように、お米や野菜、魚や肉を食べていました。また、味付けには塩やしょうゆ、みそに類する、今とほとんど変わらない調味料が使われたと考えられています。

    古墳時代の豪族(ごうぞく)(=地域の有力者(ゆうりょくしゃ))の食事
    古墳時代の豪族(ごうぞく)
    (=地域の有力者(ゆうりょくしゃ))の食事
    イラスト:スソアキコ
    (出典『知られざる古墳ライフ』譽田亜紀子著/誠文堂新光社刊)
    古墳時代の食事について詳しく知りたいときはこちら!
    子どもQ&A第7回「古墳時代の食事って?①」
    子どもQ&A第8回「古墳時代の食事って?②」
  • Question 04

    堺市にある仁徳天皇陵古墳の内ぼりに入っている水の量は、学校の25mプール何杯分でしょうか?

    ①約300杯 ②約700杯 ③約1000杯 ④約1500杯

    ②約700杯

    日本で一番墳丘(ふんきゅう)が長い、仁徳天皇陵古墳の内ぼりには、34万立方メートルの水があるとされています。これは学校の25mプールでいうと約700杯分の量です。

    内ぼりの位置
    内ぼりの位置
  • Question 05

    仁徳天皇陵古墳の石室(せきしつ)に納(おさ)められていたよろいかぶとは、何で作られているでしょうか?

    ①木 ②鉄(てつ) ③石 ④銅 (どう)

    ④銅

    仁徳天皇陵古墳のよろいかぶとは、銅で作られ、その上から金でコーティングされていました。他の古墳から見つかるよろいかぶとは、そのほとんどが鉄製で、このような銅製のものはとてもめずらしいです。

    仁徳天皇陵古墳の石室に納められていた、銅で作られたよろいかぶと(復元)
    仁徳天皇陵古墳の石室に納められていた、
    銅で作られたよろいかぶと(復元)
  • Question 06

    羽曳野市にある応神天皇陵古墳を作るときに盛(も)り上げられた土の量は、大型ダンプカー何台分でしょうか?

    ①約10万台 ②約13万台 ③約15万台 ④約17万台 ⑤約20万台

    ⑤約20万台

    応神天皇陵古墳を作るときには、約143万立方メートルもの土が使われたと考えられていて、盛り上げた土の量ではナンバーワンだとされています。長い年月をかけながら、ショベルカーもない時代に、これほど多くの量の土を人の手で高く積み上げ、古墳を造ったのです。

    応神天皇陵古墳
    応神天皇陵古墳
  • Question 07

    羽曳野市にある峯ヶ塚古墳から見つかった棺(ひつぎ)の材料となっていた石は、どこから運ばれてきたものでしょうか?

    ①兵庫県 ②東京都 ③青森県 ④熊本県 ⑤沖縄県

    ④熊本県

    峯ヶ塚古墳の石室からは、舟形石棺(ふながたせっかん)の破片(はへん)が見つかっています。材料の石を調べたところ、現在の熊本県から運ばれてきた、阿蘇(あそ)ピンク石という種類のものだということが分かりました。大阪の石を使わずに、わざわざ遠くから材料を運んでいることには、古墳造りへの強いこだわりを感じます。

    峯ヶ塚古墳の石室のようす
    峯ヶ塚古墳の石室のようす
  • Question 08

    藤井寺市の西墓山古墳の発掘調査(はっくつちょうさ)では、他に例がないほどたくさんの鉄器(てっき)が見つかりました。この貴重(きちょう)な発見のようすは現在どのように保存されているでしょうか?

    ①他の古墳の調査と同じように図や写真として記録された
    ②図や写真で記録したあと、周りの土ごと切り取って持って帰った
    ③現在は保存されておらず、失われてしまっている

    ②図や写真で記録したあと、周りの土ごと切り取って持って帰った

    西墓山古墳の墳丘はすでに失われてしまっていますが、周りの土ごと切り取られた大量の鉄器は、現在藤井寺市の生涯学習センター(アイセル シュラ ホール)に展示(てんじ)されています。

    西墓山古墳の展示のようす
    西墓山古墳の展示のようす
  • Question 09

    藤井寺市にある土師ノ里(はじのさと)駅の名前の由来は何でしょうか?

    ①昔この地域に土師氏という人たちが暮らしていたから
    ②駅が建てられる前に、土師神社という神社があったから
    ③昔の駅長さんがこの名前を気に入って名付けたから

    ①昔この地域に土師氏という人たちが暮らしていたから

    古墳時代の藤井寺市には、土師氏と呼ばれる人たちが暮らしていました。この人たちは大王の古墳造りや、その古墳に並べられる埴輪作りなどの仕事をしていた、とても重要な集団であったと考えられています。

    古墳造りを担当していた土師氏(イメージ)
    古墳造りを担当していた土師氏(イメージ)