もず・ふるいちこふんぐん こどもQ&A

古墳時代の日本人は馬に乗っていた?

答え 古墳(こふん)から発見される副葬品(ふくそうひん)を手がかりに、このぎもんについて考えてみましょう。
大阪府羽曳野市(はびきのし)にある誉田丸山古墳(こんだまるやまこふん)からは、写真のものが見つかっています。
これは、「金銅製透彫鞍金具(こんどうせいすかしぼりくらかなぐ)といって馬具(馬に乗るときにつける装具)の一部です。
馬具はほかの地域からも見つかっていますが、この鞍金具はその中でもとくにもようが見事で、とてもりっぱです。
古墳時代の中ごろから終わりにかけて、古墳からはたくさんの馬具が見つかっているので、このころに朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から馬に乗る風習が伝わったと考えられています。
馬具のいろいろ 馬形埴輪
(陵南赤山古墳出土)堺市教育委員会提供
馬具のいろいろ 金銅製透彫鞍金具
(誉田丸山古墳出土)誉田八幡宮所蔵
ずっと昔にこんなきれいな鞍金具がつくられたなんてスゴイね!

馬は古代の人たちにとってあこがれだったの??

答え
大きな古墳やばいちょう(大きな古墳のそばにある小さな古墳)からは、金を使ったりっぱな馬具が見つかっています。
また、古墳の上にならべられる埴輪(はにわ)についても、巨大な前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)から小さな古墳まで、いろんな古墳に馬の埴輪が使われています。
当時、馬は朝鮮半島から輸入されためずらしく貴重なものだったので、大王や豪族(ごうぞく)たちにとって、馬を持っているということが力の大きさを表すものでした。